silossowski

こんにちはシロソウスキー

Pinterest凍結された

Pinterest凍結されたっぽい…。ログインできないしマイページ表示できないし…。

Pinterest凍結されたの2回目なのだけど、前回は警告とか届いてから凍結だったのに、今回は突然に。

というか以前凍結されたから、作り直したアカウントでは、問題のないと思われる写真ばかり集めていたのだけどな…。

しかし、あれもこれも凍結されすぎだ。
あまりに凍結されすぎだし、なんかマークされてんのかなと思ったりもする。どうなのか。

先日またひとつ年齢を重ねて、いわゆる「キモくて金のないおっさん」となって、ただでさえ社会から外れてアウトサイダーになりかけているところだけど、インターネットにも阻害されてしまっては、本当に行く先がないではないか。

金もなく若さもなく、子や配偶者もなく、涙もろく月給わずかn万円、勇気もなくアパートもなく(アパートはある)。 自分が排除される側、不可視化される側の人間であることを強く意識させられる。

結婚式場がスポンサーのラジオ

東海地方には結婚式場がスポンサーのラジオ番組があったのだけど、これは東京やら大阪やら他の地域でもあるものなのだろうか。

東海地方というと、結婚式が豪華なイメージあるし、やはり結婚式場がスポンサーのラジオ番組も東海地方限定の文化だったりするだろうか。でも大阪も玉姫殿のゴンドラのイメージあったりして(玉姫殿のゴンドラって泉州あたりにあるんじゃなかったけ?)、やっぱ結婚式場の需要とかありそうなイメージあるな。

まあいいや、その結婚式場がスポンサーのラジオ番組のダサさみたいなのがやたらと印象的で、毎回結婚式用のダサいJ-POPがパワープレイされていてすごかったのだよな。

なんか発売されたばかりの新曲らしいのだけど、結婚式のJ-POPの記号をふんだんに取り入れていて、曲調は「てんとう虫のサンバ」ぽいし、歌詞は娘が父を気遣う手紙風ですごかった。

まあ、その曲は多分あまりヒットもしてなくて知名度も高くはないと思うのだけど、毎年のように結婚式用のJ-POPが生産されて、きちんとヒットしたりしているところを見ると、なんだかんだ世の中みんな結婚への憧憬もあるし、簡素化され続けているイメージとは裏腹に結婚式を挙げる需要というか意識が強く存在しているのだなと意外に思う。

結婚式J-POPというと、陣内が結婚式で弾き語りしたあの曲とかが思いつくけれど、わたしがお呼ばれして行った結婚式だと、どちらかといえばファンモンだかグリーーーンの「奇跡〜」みたいな歌とか、あと多分ケツメイシだと思う。結婚レゲエみたいな歌。

結婚式場で流す音楽ってけっこう権利料的な面とかで効率いいのだろうか。

最後になるが、結婚式J-POP好きじゃないんだよな。歌詞が女々しくてさ。やしきたかじんの「泣いてもいいか」をサッカリンでコーティングして油で揚げて、シュガーカットをまぶしたような甘ったるい女々しさだよ。やしきたかじんの「泣いてもいいか」は好きだ。歌詞が女々しいところが好きだ。

ダサいラジオ番組をダサいと思いながら聴きたいのだよな。なぜならダサいラジオ番組をダサいと思いながら聴いている自分はカッコいいから。

ステキなタイミング

ツイッターで炎上中にクラウドファンディング課金する機会があって、そのときのリターンのひとつに「冊子に名前載せる」というものがあったのだけど、そのとき炎上中だったので、「スクリーンネーム載せたら、その冊子発行元のイメージ悪くなるかな…」と思って本名で載せてもらうようにしたのだけど、その冊子が発行される頃には全員その(炎上した)話題を忘れていて、スクリーンネームでも問題なかったよな~と思ったし、その名前の一覧の中に津田大介の名前もあったので、津田大介と自分のスクリーンネームが並ぶ絶好の機会だったのに!と口惜しく思った。

人間なんでもタイミングだよな、と思う。
坂本九も「この世でいちばん肝心なのはステキなタイミング」と歌っていた。本当だよな。タイミング悪いと最悪死ぬし。

スクリーモ

スクリーモ」と「粉ふきいも」は似ているな。

「にゃんぱす」と「キャンパブ」は似ているな。

「鷺ノ宮」と「うみゃみゃみゃ」は似ているな。

「棚卸し」と「人ごろし」似ているな。

「ペパプ」と「デパス」は似ているな。

オタサーの姫」と「ロザンナとヒデ」は似ているな。

デンモク」と「ヤリモク」は似ているな。

ポケモンGO」と「ヘブライ語」は似ているな。

「常夏の島」と「ポコ出すと暇」(ポコを出したことにより解雇される)は似ているな。

「少女」と「ポーゴ」は似ているな。

「アサヒドーカメラ」と「アボカドをガメた」は似ているな。

「働く車」と「モロ出す人ら」は似ているな。

丸亀製麺」と「小平霊園」は似ているな。

「猛打賞」と「脳挫傷」は似ているな。

「トロット・ニクソン」と「スルッとKANSAI」は似ているな。

「心臓」と「きんもー」は似ているな。

靴のマルトミ」と「クフ王丸呑み」は似ているな。

「痴女」と「茶所」(岐阜市)は似ているな。

マエケン」と「マネケン」は似ているな。

「新宿」と「チンピク」は似ているな。

「sand」と「残土」は似ているな。

西郷隆盛」と「筋肉モリモリ」は似ているな。

「おい小池!」と「美味しんぼ」はあまり似ていないな。

アパッチけん」と「プチエンジェル事件」は似ているな。

「営み」と「立浪」は似ているな。

君が代」と「たべないよ!」は似ているな。

誰も指摘しないけど、「学ラン」と「落雁」は似ているな。

「ジャパリまん」と「ボブディラン」は似ているな。

「いかピーナ」と「ガソリーナ」は似ているな。

「TERU」と「TARU」は似ているな。

建国記念日」と「チンポコに毛虫」は似ているな。

パシフィコ横浜」と「龍彦澁澤」は似ているな。

「ブルーレイ」と「女優霊」は似ているな。

「麗しの花」と「モロ出しの玉」は似ているな。

「キモ・オタ」と「ロザ・モタ」は似ているな。

君の名は。」と「ケツの穴」は似ているな。

たのしー」と「ルナシー」は似ているな。

まじぽか」と「今中」は似ているな。

君が代」と「ポルチオ」は似ているな。

「鷺ノ宮」と「バビロニア」は似ているな。

集合知」と「オーギョーチー」は似ているな。

「ヤリチン」と「ズルチン」は似ているな。

きしめん」と「希死念(慮)」は似ているな。

電子書籍」と「チンポコ石(せき)」は似ているな。

「緊急告知」と「キンチョー コックローチ」は似ているな。

「ヒラリー」と「左~(とん平)」は似ているな。

「ハチ公改札」と「マジもんがいます」は似ているな。

国技館」と「ボブ・ディラン」は似ているな。

アオキスーパー」と「アリス・クーパー」は似ているな。

「ドエロ」と「PIERROT」は似ているな。

はあちゅう」と「氷柱」は似ているな。

「横軽」と「トゲニャル」似てるもんな。

「フジカラー」と「ゆで太郎」は似ているとは言い切れないな。

イチロー」と「小諸ー(そば)」は似ているな。

「D.MIURA」と「P-MODEL」は似ているな。

ガトームソン」と「サトームセン」似てる。

「駅売店」と「ノイバウテン」は似ているな。

「ドミューン」と「はきゅ~ん」は似ているな。

「イケダハヤト」と「ネルソン・パヤノ」は似てる。

「水素水」と「Who do voodoo we do」は似ていると思っていたけどそうでもないな。

「オフ会」と「ご不快」は似ているな。

「現地」と「チンゲ」は似ているな。

「ご主人」と「ポコチン」は似ているな。

マシェリ」と「馬ペニ」は似ているな。

鉄腕アトム」と「ポコチンソドム」は似ているな。

「不可侵」と「おかしん(岡崎信用金庫)」は似ているな。

「オタク」と「オティーク(オテサーネク)」は似ているな。

「やるまん」と「ガルパン」は似ているな。

「逮捕」と「ロイホ」は似ているな。

たむらぱん」と「バナナパン」似ているな。

「銀だこ」と「チンポコ」は似ているな。

福しん」と「ポコチン」は意外と似ているな。

「縁組」と「エンクミ」は似ているな。

「ワークマン」と「クワマン」似ているな。

ジュディ・オング」と「アジャ・コング」は似ているな。

「キチョハナカンシャ」と「きちがい大蛇」は似ているな。

「機種変」と「肉片」は似ているな。

「みそかつ 矢場とん」と「アンドレ・ブルトン」は似ているな。

「めちゃシコ」と「つるセコ」は似ているな。

ジル・サンダー」と「なむさんだー」は似ているな。

「マジレス」と「はじるす」は似ているな。

うるう秒」と「クールー病」は似ているな。

暗黒舞踏」と「暗黒微笑」は似ているな。

「レバ刺し」と「手羽先」は似ているな。

「美魔女」と「ディマジオ」は似ているな。

メロンブックス」と「ツインゴッデス」は似ているな。

副都心線」と「おポコチンさん」は似ているな。

「日本代表の本田」と「大日本の小鹿」は似ているな。

「つくね」と「累」は似ているな。

「Too cute.」 と「東京都」は似ているな。

セラムン」と「レナウン」は似ているな。

「壁ドン」と「パペルボン」似てる。

認定こども園」っていろいろなものに似ているな。神聖かまってちゃんとか、啓蒙かまぼこ新聞とか。

「東京」と「放尿」は似ているな。

「タマゴボーロ」と「マルコポーロ」は似ているな。

「モスチキン」と「モチスキン」は似ているな。モチスキンとはもち肌のことだ。

うずくまっているひとのシルエットは脳髄に似ているな。

「見切り発車」と「アクアパッツァ」は似ているな。

自由主義の切り札 片山さつき」と「救済者のカナメ石 それが尊師」は似ているな。

エミリオプッチ」と「お泊まりエッチ」は似ているな。

カワバンガ」と「百合マンガ」は似ているな。

「お精子」と「ゴセージ」は似ているな。

「田んぼを返せ」と「金メダリスト」は似ているな。

デパス」と「ペニス」は似ているな。

「僕の父親、司親分に似てるんです」と言われたので、「へえ!ダンディやねえ」と相槌を打った。

「なれずし」と「生主」は似ているな。

とつか再開発くんはアナルプラグに似ているな。

「bigtits」と「マックハウス」は似ているな。

西武鉄道の「52席の至福」、52席しかない列車と考えると希少な感じするけど、52席あるレストランと考えると、けっこうでかいな。

矢澤にこの手首にはリスカ痕がめっちゃいっぱいある説を(これからも ) 主張していく。

きょうバーガーキングでベーコンワッパージュニアのセットを買ったら、ドリンク用のストロー付いてないと思ったので、以前もらって余ってたコンビニのストロー使って飲んだんだけど、尺が長すぎて飲みにくかった。飲み終わったあと、バーガーキングの手提げ袋ゴミ箱に入れようと思ったらストローが出てきた。ところで早く死ねば、死の恐怖から解放されるのだろうか。

キャシャーンがやるから自分はやらない

小学校・中学・高校では国語の成績だけは良くって、作文とかも褒められることが多く、「自分には才能があるんだ!」と思っていたし、わたしは(国語以外の)勉強ができなかったし、手先が不器用でスポーツも苦手だったので、「国語が得意」というところにすがって自己を肯定し、承認を得ていた。

それに「変なやつ」みたいな評判も割とあって、良く言えば(あくまで良く言えば、だ)独創的であるみたいな評価がされていたので、自分でも「自分は独創的なんだ!」とも思っていた。

そこに若者らしい中二的な万能感が配合されると、「よっしゃ!自分には才能があるんだ!将来は何らかの文章を書いて生きるぞ!」みたいな発想になったりするし、その方向に進めばまだ良かったのだけど、高校のときに進路を相談した相手がアホだったので、「何らかの文章を書く仕事を将来したい。ジャーナリスト的な」みたいな相談をしたら、「ジャーナリストって言っても色々あるよね。たとえば音楽とか映画とか」と意味もなく濁されつつ詰問され、「書くことが得意なので、人文系がいいんです」「人文系って、就職のとき不利だよ。採用担当に人文学部だと伝えたら、それだけで落とされたし」みたいな就職氷河期を生き抜いてきた人間の屈折したアドバイスばかりを素直に聞いてしまって、わたしは最終的に(「就職に有利」とアドバイスされた)経営学部に進んだのだけど、実際進学してみたら、人文学部がマスコミに就職するためのいろんな勉強や研究や討論会を開いていたりして、それを横目に見つつ、「自分やりたかったのこれなんやけど…」と、高校のとき相談したアホを恨んだ(人文学部に進んだとして上手くいったかどうかはやっぱわかんないんだけど。実際に進学した経営学部では恩師や仲間に恵まれて良い学生生活を送れたと思うし)。 *1

それはそれとして、だ。  
自分には独創性と文章力があると信じていた。

でもいろいろと本を読んだり、いろんな人の考え方に触れるにつれ、自分がなんとなく脳内でモヤモヤと考えていたこと、思っていたことがキチンと言語化・文章化されていて、更にそのうえで、自分が考えていたところよりも一歩、二歩と深く踏み込まれて検討されていたりすることに気づいてしまって、「なんだ、もう十分に研究考察されているんじゃないか」と思ってしまったし、「じゃあもう自分が考える必要はないな」とも思って、それ以上考えることをやめてしまった。 考えることだけでなく、文章そのものの才能についても同様で、すごいセンスと意欲を持って文章に取り組んでいる人や、すごい文章に次々と出会ってしまう。

そうなると自分のできることというのは無くなってしまって、「この人たちに全部おまかせすればいいや。自分がやったってこの人たちの境地には到底たどり着けないのだし」となって、それ以上の何かをやめてしまうのだ。 挫折というよりも、「なあんだ」という気づきというか、自分に才能や能力が無いことを知らされるというか。

とにかく自分よりすごいものを見ると、「なにくそ、やってやるぞ!」という気持ちにはまずならなくて、「ああ、この人におまかせすればいいや(自分はやらなくていいや)」という気持ちになってしまうのである。負けグセのようなものなのかもしれないが。自分がやることによって貢献できることはなくても、下手にやることで足手まといになってしまうだろうという観念が出る。

最近は短歌を再開し始めているのだけど、以前(3年前ぐらいに)サークルを組んでやっていた頃に比べて、よく歌集や入門書、批評などを読むようになった。以前よりもうつ状態が改善して、本を読めるようになってきた影響であろうか。

しかしながら、本を読むと例のやつがやってくるのである。「自分が考えてきたこととか、もう十分に試みられているんだな。なあんだ。じゃあ今から自分がそれをやってみる必要なんてないか」と。

それに、過去に自分が制作した短歌に似た作品も多数目にするようになった。

自分だけのオリジナルであると、独創的でユニークなものだと信じていたことは、決してそんなことはなくて、どこかの誰かも同じことを思って、やはり短歌という形式にして作品にしている。過去にノーヒントで同じような短歌を出せたことに対しては、「自分もやるじゃん」という感じではあるのだけれど、それ以上に「自分がやる必要もないか」という諦めのほうが強い。 誰かが言ってくれるのだから、自分がわざわざ言う必要がない。

なので最近は、なんのひねりもなく、なんの感動もない、ただの自分の感性の薄さをそのまま表出させた短歌を詠んでいます。

凡庸で無個性で、痛々しい自意識ばかり持っていて、変態で、犯罪者予備軍で、社会の病理で、という自分への評価もとんだ思い上がりで、本当に何もなくて、何も爪痕を残せなくて、今からラーメンを食べに行くかどうかも決められず、「かわいそうな自分」に酔うことだけが自分の生き方であるこのおれを、見てくれ。もっと見てくれ! 注目されたいという自意識は恥ずかしながら、ある。

無根拠に承認されたい。

*1:もし高校生とか進路を迷っている若者がこれを読んでいたら言いたいのだけど、進路に関しては学校の進路指導の先生がいちばん信頼できます。たとえば塾とか家庭教師とか通信教育とかの担当講師は、あまりアテにならないことが多いです。彼らの言うことはあくまで「個人の感想」だったりして、様々なバイアスに汚染されているうえに、見ている範囲が狭小だったりします。やはり進路指導を専門にする人の、知識量や考える範囲の広さはバカにできない。進路指導の人がいやだったら、担任や信頼できる好きな先生とかの意見でもいいと思う。

マーゲイ

10年前ぐらいのイベントで、アーバンギャルドのライブほぼ最前列で見ていたら、松永天馬の詩の朗読コーナーで投げ捨てた原稿用紙が目の前にヒラヒラ落ちてきて、「取れる!」と思ったら、横からものすごくすばしこいオタク女(けものフレンズのマーゲイみたいなの)がやってきて一瞬のうちに原稿用紙をさらっていった。すごかった。

 

ところで、あのときイベントにいた人たちも、今はいない人になってたりとかする場合もあり、時間はすごい。