silossowski

こんにちはシロソウスキー

Twitter凍結に際して、総括

凍結したのが10/27 先週の土曜で、凍結から一週間経った。 とりあえず一段落したと言ってもいいし、むしろ3~4段落ぐらいしているような気もするが、ここで一旦ツイッター凍結について総括してみたいと思う。

今回の概要・流れ

凍結

凍結に気づいたのは10/27(土)のお昼過ぎぐらい、スマホから投稿しようとしたら失敗して、やり直しても失敗してを繰り返したので、まさかと思ったら凍結されていた。 凍結自体はさいきんずっと話題になっていたことだし、色々なユーザーの凍結に際して、「明日は我が身だ」と思っていたので、特段驚くことも狼狽えることもなかった。タイムラインも普通に更新されて流れていく。fav通知もふつうに来る。 新規投稿やfavRTができないだけで、機能制限版ツイッターとでもいうべき風情で、べつにこれでもいいんじゃね? みたいな気すらした。

しかしそこから2~3時間ぐらい経った頃に、タイムラインの更新が止まった。

「べつにこれでもいい」みたいな強がりを言ったものの、そうなるとやはり寂しさを感じる。 「ここで本当に終わりなのかな」という気持ち、数年前にツイッターを開始して、今日にいたるまでの色々な出来事を思い出した。 地元でブラック労働に従事して、休日もなく、同級生ら友人と会ったりする時間もなく、24時間365日仕事に縛られる日々。 そんな苦しく鬱屈とした日々を支えてくれたのは紛れもないツイッターで出会ったひとたちだったな、と思った。

異議申し立て

凍結された状態でログインすると、「異議申し立てはこちら」みたいなアラートが出るので、それに沿ってフォームから異議申し立てをする。 このときわたしは、「特に問題となる投稿をしたという認識はありませんが、もし問題があるようであれば投稿を削除しますので、ご指示願います」といったような手短な内容で送った。

異議申し立てを送るとすぐ、「このメールアドレスが有効なものか確認します。このメールに返信してください」という自動返信メールが来るので、それに対してさらに返信をし、当該メールアドレスが有効であることを証明する。 すると「異議申し立てを受け付けました」というメールが返ってきて、審査が始まるといった流れである。

異議申し立ての結果

上記の異議申し立ては10/28(土)に送ったものなのだけど、その審査結果は10/30(月)の15時過ぎ頃に返ってきて、結果としては「このアカウントは復元されません」というものだった。

「復元されません」とは読んで時のごとく復元されないということなので残念でしたみたいな感じなのだけど、 審査結果には「永久凍結」という文言はなく、そうなるとこれもまだ抗議の仕方によっては希望があるのだろうか? よくわからない。

しかし土曜にフォームから異議申し立てを送信して、その結果が月曜に返ってくるとは、ツイッター社の人たちが土日休みをとっていたからだろうか。たまたまかな? 時差は? やはりよくわからない。

それにしても、審査結果のメールが届く直前に、土曜の時点で止まっていたはずのタイムラインが一時的に更新された。 凍結に対する異議申し立ての審査というのは実は形式的なもので、たいして内容も見ずになされているのではないかという疑念もあったが、固まっていたタイムラインが一時的に更新されて、その後に結果が届いたところを見ると、一応投稿一覧を読んで審査っぽいものは行われているのだなあという感動があった。 それが人力なのか、機械的なものなのか、その両方なのかはやっぱりわからないのだけれど。

異議申し立てに関する注意点

異議申し立てをすると、上にも書いたように一時的にタイムラインが更新されるのだが、そのタイミングで所有している複数アカウントが一斉に「一時的に制限」の状態になる。

その制限を解除するには、ログイン時に電話番号を入力して、通話もしくはSMSでのPINコードの受取が必要になるのだけれど、電話番号は単一のアカウントにしか紐付けできないので、制限された複数アカウントを解除していくには、

  1. ログイン時に電話番号が要求されるので入力

  2. 入力した電話番号で受け取ったPINコードを入力してログイン

  3. ログイン後、[設定とプライバシー] > [モバイル] > [電話番号を削除]

  4. ログアウト

  5. 次のアカウントにログイン…(以下繰り返し)

といった感じで解除していく必要があってめんどくさい…、だけで済むと思ったら大間違いだ!(思慮が足りん!出直せ!)

これを繰り返していると、3個目ぐらいのアカウントで、「この電話番号は、他のアカウントに登録されています。」というエラーメッセージが出るようになり、それ以降は新しい電話番号を用意しないと制限が解除できなくなってしまうのだ。(確かに別のアカウントからは紐付いている電話番号を削除したはずなのに)

そういうわけで、わたしの管理しているbotアカウント、天使の仮面'97(@tenshinokamen)は制限状態のままとなっており、新しい電話番号を手に入れるか、もしくは1から作り直すかしないと稼働できなくなってしまいました。すんません。

ちなみにですが、わたしは仕事関連でつくって管理しているアカウントとか、あと開発用としてつくったアカウント(凍結されると困るので、あえて非アクティブで運用してた)、いぜん鬱状態がひどかったときのメンヘラアカウントとか、思いつきで作って放置しているアカウントとかもあって、いくつか複アカを持っていました。 幸い仕事のやつは救い出せたのだけど、あとは…。

なので、なんか重要ぽい複アカとか、あと企業のweb担当とかで、やむを得ず仕事関連のアカウントも管理している人とかは、凍結されたとき、そっちを優先的に解除していくといいと思う。

凍結の原因

たぶん問題になったのは男児の全裸写真を貼ったせいで、これは沢渡朔の写真作品で現在も流通している写真集にも収録されているもの。美術作品であることを主張して、改めて異議の申立てと長い反省文を送りつけることはできるのだけど、あまりそのようなモチベーションも湧かない。

ツイッターも表面上明言していないだけで、ゴルスタよろしく心のこもった反省文を書くと意外と通るのではと思ったりもするのだけど(あくまでわたしの推測というか印象です)、また複アカが制限されても困るし、次は電話番号認証ができないかもしれないし。そう考えるとね、反省文もね。

というかそもそも反省文書くモチベーションもないし、そこまでべつに凍結解除してほしいわけでもないって感じ。

ちなみに、別の凍結事由は考えられないか?という点については、まずわたしはリプライをあまりしないし、冗談でも人に死ねとか殺すとか言わないので、それではない。
(単独ツイートで、《ブチギレたドーナツ屋「殺すピークリームドーナツ」》というツイートはした)

JS裏垢にDM送ったような経験はない。DMで人に性行為の申込みもしてない。基本的に最低限の用事しかDMしない。

小児性愛者なので、それ関連で心無い人間から攻撃的なリプライとかはもらったことある。その節は、即SPAM報告させていただいた。 あと炎上経験もある。

しかしそれらはタイミング的に今回の件とはあまり関係がないような気がする。やはり写真が単一の原因だと思う。

懸念事項

OAuth認証している他サービスにもログインできなくなるんじゃないかと心配していたけど、それは現状ふつうにログインできるし、ふつうに使えている。

しかし、アカウント消したあと1ヶ月以内であれば復活が可能だけど、それ以上経過すると復活が不可になるみたいな事がある以上、凍結されたアカウントや制限アカウントも1ヶ月以上復帰しなければ消えてしまうのではないかという懸念がある。

そうなるとOAuth認証している諸サービスにも影響が出てしまう…。どうなんだろうか。

そして消えてしまうとなると、本当の死を迎えるようで寂しい思いもある。

「アカウント作り直さないのか?」について

シロソウスキーはこれでおしまいでいいんじゃないかという気がする。まだ今回の事態に際してから日数もそんなに経っていないし、また気が変わるかもしれないけど。 実際、一週間経ってみたら、ちょっと寂しくなったし。 あと、こうやってブログを書いても、それを告知する手段が無いんだ。誰かに気づいてもらってシェアしてもらう他方法がない。

*1

とはいえ、ここ最近はタイムラインを眺めていてもイライラしてしまうことが増えていたし、それでもTL見てしまったり、わざわざ書くほどでもない、どうでもいいことを多くツイートするようになってしまって、それなのに本当に書きたいことは炎上の可能性があるために書けなかったり、凍結を気にしてセーブしてしまったり、誰かフォロワーに気を遣って書きづらかったりして、思うままに書きたいことを書けないような状況になっていて、それはツイッター自体が大きくなって、ユーザーが増えて気を遣わければいけないことが多くなったのだから、しょうがないことなんだけど。

それに一時期はツイ廃度があまりにも高くなってしまっていて、しばらくはツイ禁もしくは低浮上というかたちで運用してみたり、とにかくツイッターとの付き合い方を変化させようとしている感じはあった。

その後、低浮上で運用しているときに炎上が発生して(この炎上について詳しく書く気はないのだけど)、それまで炎上らしい炎上を経験したことがなかったので、その時点でなんというか、「ツイッター全クリした!」という気持ちになった。全イベント制覇である。

気分としては全クリしていて、あとは王様と姫が待つお城に行けばエンディングとスタッフロールが始まるのだけど、まだフィールド上で自キャラを動かせるのでテキトーに動かして遊んでいたら、うっかりエンディングが始まるお城に足を踏み入れてしまって、自キャラの操作が不能になってスタッフロールが流れ始めたという感覚か。

もしくはもう色々どうでも良くなっていたので、半分自殺みたいな感じというか、わざわざ危ないことを深く考えたりせずやっていたような感もある。「死んだら死んだでいいか」みたいな。ダンスっちまった。今回の写真がそうなんだけど。やけっぱちだったのかも。

最近はニュースショー的な正義の皮を一枚かぶった野次馬、なんの生産性もなさそうな「男が」「女が」みたいな週刊誌のクソコーナーみたいな話題、ソーシャルマーケティング的な発信側とファンが渾然一体となった悪ノリ、芸能人を持ち上げるバラエティ的な茶番とか、わたしの嫌いなものがあまりに多くて厳しくなっていた。

しかし実際ツイッターが凍結されると、ツイッターでフォローやフォロワーがn人いたり、リプライのやり取りしてたりみたいなところが唯一の社会との結びつきであり承認であったというか、それ以外に自分が人間として承認されるものが特に無いので、見渡す限りの荒野に一人置き去りにされた気持ちというか、誰も頼ったり声をかけて元気づけあったりする人ってツイッターでつながりのある人たち以外本当にいないんだなと愕然としますね。ちょっと言いすぎでしょうか(反語)。

ポストツイッターについて

わたしは技術的なことはいまいちわからないので、トーシロの1ユーザーとして述べるけど、ツイッターは良くも悪くもでかい企業がやっているので、気楽に好き勝手書けるというのは確かにある。

分散SNSだと、どうしても鯖管の顔が見えてしまうので、あまり行儀の良くない振る舞いはできないし、また鯖管が嫌うような話題を避ける傾向になる。

これはサイゼとかチェーン店だとドリンクバーで粘っていても、そんなに罪悪感なく過ごせるんだけど、個人のやっている喫茶やレストランとかだと、やはり店主に気を遣って長居しすぎないようにしたり、ドリンクを追加注文したりするようになるような、そんな感覚だと思う。

それを踏まえたうえでも、マイクロブログ的なサービスがツイッターのほぼ独占状態となっているのは、危険というか不自由なことだと思う。分散SNSなら1つのインスタンスから追い出されても、他のインスタンスにいけるわけだし。

でもツイッターがなかったら…

とはいえツイッターがなければ、自分はきっと死んでいたことだろうと思う。 地元でギリギリになっているときに支えてくれたのもツイッターで出会った仲間たちだったし、仕事辞めて東京出てくるときにアドバイスしてくれたり、心の支えになってくれたのもやはりツイッターのみんなだった。柄にもないけど、素直に感謝している。

ツイッターで出会ったみんなはもとより、ツイッターにも、インターネットにも。

いい機会だし感謝を伝えました。死んだら伝えられないし、今のうちに。

さて、じゃあもうツイッターから離れるのかというと、自分自身一応webでめしを食っているので、そういう職種にあってツイッターアカウントを持っていないというのは、何かと不都合が生ずるだろう。なのでもうちょっとして気持ちになったらやはりアカウントを作りなおす…かもしれない。わからないけど。

(まあでも、いまからシロソウスキーを作りなおしても、きっと以前ほどは影響力は持てないんだろうな。元気だった老人が家の中の段差でつまづいて転んでちょっとケガをしてしまって短期間入院したりしたのをきっかけに、ひどく弱って衰えてしまうような感じというか。そもそもそんなことを気にするほどのパワーのあるアカウントでもなかったのだけども)

ていうかそもそもアカウント作り直せるのか? また電話番号認証が必要だったり、IPで弾かれたりするんじゃないのか? という心配も尽きないけど、とりあえずはこんな感じです。

また作り直したりしたときは、きっとまたそのときはね、よろしくね。

年表

  • 2010年08月07日(土) アカウント作成
  • 2011年06月20日(月) 心に残る話があった f:id:silossowski:20171106000926p:plain
  • 2012年11月03日(土) ネイキッドロフト魑魅魍魎の文化祭、交流が発生する
  • 2014年03月11日(火) 上京
  • 2014年03月12日(水) googleアカウント凍結
  • 2017年05月23日(水) YouTubeアカウント凍結
  • 2017年10月28日(土) Twitterアカウント凍結

総ツイート:105,991

*1:インターネットでこういうこと言うのは良くないというのはわかっていつつも、本心を言うと、色んな人がツイッターアカウントを凍結されることによって、みんながツイッターに愛想を尽かしてやめていって、さっさと廃れてくれればいいなと思っている。みんなでツイッターやめませんか、という気持ちが一番強い。もちろん現実的にはそうはいかないことはわかっているのだけれども。テレビタレントと、そのファンのためのSNSじゃねえか現状。インターネットの神様どうなのでしょうか

セックスすること

セックスというか、男の立場から挿入する感覚って、虫や小動物を殺す感情とか、屋根から下がったデカいツララを叩き落とす感覚に近くて、破壊や暴力にとても似ていると感じる。

「すべてのセックスは暴力(レイプ)だ」という主張には本当に納得するし、セックスに際した自分は、その手にナイフを持たされて、「さあ、殺せ!」と命令されている気分になる。やくざやギャングの通過儀礼のようだ。もしくは絞首刑の床が抜けるボタンを押す刑務官か。

人殺しをしたあとの下っ端チンピラや、気弱な刑務官よろしく、その後はその時の様子や感触を思い出しながら、自分は人に取り返しのつかない暴力を振るってしまったと、何ヶ月も何年も苦しむことになる。アルコールにもすがる。

なんだってこんなことをしなければならない世の中に生まれてしまったのか。理解できない野蛮な風習の残る未開の部族の一員として生まれてきてしまった。

これから先、またわたしは人殺しのナイフを手に持たされることがあるだろうか。

それとも、やがて人殺しの快感に取り憑かれ、自ら嬉々としてナイフを手に、獲物を狙う、そのような獣になってしまうのだろうか。

生きているだけで悲しい。

あなたは銭湯で股間を隠す派ですか

「先頭で股間を隠すか隠さないかは地域によって正解が変わるマナーだ」というのをどっかで見たのだけど、自分は全く隠していなくて、全くそんなこと意識していなかったのだけど、股間を隠さないのは(地域によっては)マナー違反になると言われると、「隠さなきゃいけないのかな…」とたじろいでしまうというか、銭湯に行きづらい気持ちになる。 そんなもん見ようと意識しなければ目に入らないし、どうでもいいことじゃんね(いま人生で初めて「じゃんね」と言いました)。

わたしはふだん陰毛を全部剃り落としている状態なのだけど、確かに銭湯でよく見られるのは感じる。 世の中の人びとは通常、他人の股間を気にするものなのか? それとも無毛の股間が見たいの? それなら話はわかる。確かにおれも見たい。

というか、銭湯で股間を見られると、見られている側は思った以上にそれに気付くということだ。 要するに男湯に女児が入ってきたからって、それを見ようとすると女児ないし女児の父に気づかれる可能性は高い。

女児に気づかれるだけならともかく、女児の父親にバレるのはまずいと思う。たぶん。(女児を銭湯に連れて行って、それを凝視する人物を見つけては、娘を性的虐待する仲間として勧誘しようとする父親なら話は別だが。しかし、そのようなことは太平洋上で蝿同士が衝突するような確率でしか起こり得ないだろう。それを信じて生きていくの? 夢を信じててエラい!)

数年前に銭湯内(男湯)で女児を隠し撮りしようとしていた青年が、女児の父に隠し撮りを気づかれ通報されてお縄となった事件があった。 たしか洗顔フォームの容器内部だかにカメラを仕込んでいたという話だっけ。 気づかれるということは、ベストポジションを狙って洗顔フォームの容器を動かしまくっていたか、それとも杜撰な作りの隠しカメラだったのか。

銭湯で女児を撮影なんて、お金儲けが目的でもない限りできないな。めんどくさい。ツイッターでJS裏垢でも探してたほうが、まだ効率がいい。 情欲はコンビニ感覚で満たしたい。

そういえばweb1.0のころよく出回っていた、ディズニーランドのトイレ(と言われているが実際は謎)で盗撮されたという女児の放尿画像は良かったな。 いや、画像そのものより、あの画像をbackground-imageにしてrepeatさせていたホームページが存在しており、それがクールで、とてもインターネットだった。

夏はいつか「あの夏」になってしまうけど、インターネットもいつか「あの夏」になる。そのように思います。

わたしたち、死を意識して生きていきましょうネ。

凍結されてても通知くる

凍結されてても、以前に「広告を報告」で報告したアカウントが凍結されたというお知らせが来ます。

すごいですね。

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あときのう人びとと交流をし、凍結されたことをネタにしまくれたので良かった。

あと写真撮ってツイートしてもらった(自分ではツイートできないので)。

Twitter凍結された

沢渡朔の作品を貼ったせいかな。

まあこれだけ凍結騒ぎになっているTwitterで、ひょっとしたら規約違反と判断されるかもしれない写真を貼ったのだから、「凍結されたら、それはそれでしょうがない」という気持ちがあったのかも。

そんなこともあり、凍結に気づいた当初も「ああ、来たか」と落ち着いていた。 凍結された人からよく語られるように、凍結されてもpostできないだけで、タイムラインは更新されるし、fav通知とかも来る。

数時間後、やがてタイムラインが更新されなくなった。 そうするとなんだか急に寂しくなってきて、

地元でブラック労働で死にそうになってて、本当にまずい状態になりつつなんとか仕事辞めて(なかなか辞めさせてくれなかった)、Twitterでつながりのあった東京の仲間たちに支えられながら東京に出てきて、慣れない東京で職業訓練して…、みたいなことを思い出したりした。

雑記 - まず家事をやりたい

生活において、たとえば布団を干してないとか、布団カバー洗濯してないとか、洗濯物たまってるとか、掃除機かけてないとか、床を雑巾掛けしてないとか、便所を洗ってないとか、風呂を洗ってないとか、食器や流し台を洗ってないとか、そういう後回しにしていることが個人差あるにしても多少なりともあったりして、そういうのが豊かな自己表現や思索とか、散歩や小旅行みたいなレジャーとか、趣味と実益を兼ねた工作や勉強とか、そういうものを全部阻害している感があり、一旦休みをとってその辺の溜まった後回しのタスクを一旦片付けてしまいたい。 しかし、そういうタスクを消化できるような、まとまった休みを取れる機会というのは、一年通して見てもわずかであるし、もっと言うと仕事を一旦やめなければそういう時間が取れそうにない場合だってある。

これのパフォーマンスを上げるには、極めて自閉的になり、身の回りを神経質なまでに清潔に整えまくるか、もしくは「掃除や洗濯しなくても気にしない」というスタンスをとって汚しまくるかみたいな極端な選択をしていくことになる。自分ルールを制定して、厳格にそれを適用していくというスタイルである。

一方、誰かと同居していて、その片方の人間が家事を効率よくサクサクこなせるタイプの人間だったりすると、それに引っ張られて、極端にならず、いいバランスで家事をこなせるようになったりする。 他者の目が適度にあると、なにかとバランスが取りやすくなるというものだ。

そこでわたしが御提案したいのは、「家事キャス配信」である。「キャス」と称してみたけど、periscope配信でも問題ない。 掃除や家事も、それを配信すると、いい具合に人の目があるから、途中でだらけたり、サボったりしづらく、配信時間の都合もあるから自然と効率的に家事をこなすようになるのだ。 実際これは自分自身やったことがあり、なかなかいいパフォーマンスを発揮できた。承認欲求も満たせるかもしれない。

しかしながら弱点もあり、一人暮らしする人間の家は大体クソ狭いので、ゴチャゴチャとものが多くて絵面が汚くなりがちである。汚い絵面は、人間の生理的嫌悪を喚起させやすく、なんだかそこに住む人間も薄気味悪く感じてきたりするかもしれない。

お料理配信みたいなのも良さそうだけど、果たして人にお見せ出来るような台所だろうか…。そういう問題になってくるが、やってみる価値はあると思う。

家事や色んな気の進まない作業を配信して、コンテンツ化する。これは一種のリサイクルでありエコではないだろうか。ゴミ焼却炉の熱を利用した温水プールで泳ぐ女児を想像すると、何だかひどく興奮する。

ケーキを食べることよりもむしろ買うことが趣味

もともと甘いものはわりと好きなのだけど、貧乏性が身についているので、ケーキを食べることは、たとえば誕生日とかクリスマスとか、あとは風邪やら病気のときとか、そういう特別なときに限られていて、日常でケーキを食べるとバチが当たるのではないかとすら思っているようなフシがあります。

しかしながら、世の中の人たちみんながそんな程度しかケーキを食べないのであれば、ケーキ屋さんは当然食っていかれないわけであり、ケーキはもっと日常から買って食べてもいいものなのではないかと、大人の自分が論理的に考えた結果、そのような理路整然とした答えが出ましたので、そのようにしています。

きっかけとしては、人物から「クリスマスなのでホールケーキを買おう」と提案され、「いや、それならばショートケーキを数種類買ったほうが、安いし量も適切だし、色んなものも食べられるし良いのでは」と返答し、実際そのようにしたのですが、たしか5個だか6個だか買って2000円もしなかったので、「意外と高価くはないものなのだな」と思って、それ以来ケーキをたまに買うようになったのです。

ケーキをたまに買うようになり、少量買って自分で食べるということもあるはあるのだけれど、むしろ人の家に遊びに行くときとか、おみやげとしてケーキを買う機会が多くなり、それは「自分ひとりのためだけにケーキを買うのが何だか少し後ろめたい」みたいな気持ちがまだ完全には捨てきれず、しかも自分用だと少量しか買わないので、何だか店のひとに悪いのもあるというか、店のひとに「うだつの上がらないチョンガー( * )なのに、自分用に1個だけケーキ買うんだ(笑)」みたいに思われるんじゃないかみたいな気持ちもあって(なので、たまに買うときはそんな要らないのに複数個買ったりして、「いや、妻がね、ここのケーキが好きでね」みたいな顔をする)、結局やはり自分用にはケーキって少し買いにくいので、ひとの家にお邪魔するときのお土産を口実にケーキを買って、自分も食べようという気持ちがあるのですよね。
* 注釈:死語です、各自ググってください

もちろん普段から自分用に少量買って、味を確かめて、そのうえでひとへのお土産や進物にするというのは真っ当な行動なので、普段から自分用に少量買うというのは後ろめたい行動じゃないはずなんだけど。

こうした行動を繰り返すうちに気づいたのが、自分はケーキを食べることというよりも、ケーキを買うことが好きなんじゃないかということでした。

ケーキを買うというのは、生活に華を添えるようなものだと思う。

華を添えるという言い回しがバッチリそのままで、花を買って花瓶に活けて、それを部屋に飾る行動に似ている。

ケーキ屋に行く、ケーキ屋の店内は砂糖とスパイスのにおいに満ちている。ガラスケースを見る、色とりどりのケーキが並んでいる。少し無骨でドッシリとしたものもあれば、フルーツが宝石のように散りばめられている鮮やかなものもある。キウイフルーツババロアとか爽やかな色のものもあれば、名前わかんないけどベリーを使った艶やかな赤色のものもある。チョコレートや栗のなめらかな茶色、いくら見ていても飽きない。花屋の店先に並んだ、いろんな花を見ていたときのマッキー(槇原敬之)もこのような気持ちだったのだろうか。

とかいろんな形容をしまくっていると、時間がかかって店のひとに迷惑ですので、早めに決めてケーキを買うのですが、いつも「はやく決めなきゃ」とおもって迷ってしまって、「なんでこのケーキに決めたんだ?」とあとでいつも謎になってしまうのですが、それはさておき、ケーキはだいたいうまいです。生活に彩りがもたらされます。

なんかキレイなケーキを買ったならば、それを雑には消費したくないというのが人間の情であり、箱から取り出したら、(半額惣菜はいつも容器から直接食うくせに)きちんとお皿に載せて、コーヒーやお茶を淹れて(焼き菓子系だったら洋酒なんかもいいですね)、散らかってるテーブルの上もきれいに片付けて、その様子をスマートフォンで撮影して、インスタ・グラムに投稿して、急げば秒で食べ切れるケーキをゆっくりと丁寧に味わって食べたりするわけです。

そして人の家に遊びに行くときのお土産にしたときなんかは、「このケーキうまいね」みたいな感じになると、自分が作ったものでもないのに、何となく鼻が高くなるというか、嬉しくなるものですよね。

ケーキを人に買っていくとか、ギャルゲーの登場人物のヒロインの美人のお姉さんになったみたいな気持ちにもなりますね。(個人の感想です)

「ケーキを買う」という行動ひとつには、そのような体験がすべて込められており、要するに丁寧な暮らし、美しい生活が付随してくるものなのではないかと思うのです。

いまわたしが住んでいる部屋は狭くて古くて、線路の近くだからうるさいし、電車が通過するたびに家が揺れるし、北西向きで日当たりが悪くて昼間から暗くて寒いし、なんかくせえし、花を飾るような気分になれないというか、置くスペースすら確保できないのだけど、それでもケーキを買って食べることは割とできたりとかするっぽいです。

それでもひとりぼっちでケーキ食べるのは微妙なので、人と会うときに買いたいのだけど。

ともかく、丁寧な暮らしをやっていくために、ケーキを「買って」みてはいかがでしょうかというご提案と、経過のご報告でした。