silossowski

こんにちはシロソウスキー

コラム:エスカレート

小学生のころ、長崎で「精霊流し」というお盆の行事に参加したのだけど、その静謐たる名称のイメージとは裏腹に荒々しいイベントで、その年に人が亡くなった家族親族総出で、死者の霊を乗せたきらびやかな「精霊船」を曳いて練り歩きつつ、爆竹をドリンクバー感覚で鳴らし、最終的にはその精霊船を街の中心部にある広い交差点まで曳いていくと、船を高速回転させるというわけのわからんもので、終了後は全員が何らかの受傷をしていがちです。

この行事では爆竹が特に重要というか、行事の象徴のようなもので、「爆竹がないと始まらない!」みたいな雰囲気があって、それこそお店が仕入れるようなダンボール数ケースとかを事前に用意して、もういつでも爆竹鳴らし放題の状態にしてある感じです。

で、最初はみんな爆竹を恐る恐る1個づつ点火しては破裂させて「ヒエッ!」みたいな感じになっているのですが、爆竹の音にも破裂の衝撃にも慣れはじめ(ていうか相次ぐ破裂に耳と感覚が遠くなってきて)平気で3個同時点火とかしはじめて、プリングルスでいうと半分辺りまできたころにやりはじめるような食べ方をしはじめるわけです。

プリングルスならば食べ終わったり、容器側面に書いてあるアメリカンなカロリー表示を見たりして、ストップがかかるわけなんだけど、爆竹はケース単位で買ってあるので、ストップがかかる気配がありません。3個同時点火から5個同時点火、12個同時点火とかやってるうちに、ついには「1箱同時点火」とかも普通になってくるどころか、1箱同時でないと物足りなさすら感じてきます。あなた、ちりめんじゃこを1匹1匹大事に食べたりしますか? てなもんです。

そんで精霊流しはクライマックスへ。精霊船は町内の中心部にある広い交差点へと曳かれていき、そこで女子供は船から遠ざけられ、男たちが船の両端の側面に手をかけます。そこから船はグルングルンと高速回転。これ大丈夫なのかと思わなくもないけど(と思っていたら、実際に歴史学者や警察などからは「行儀のわるい行為」「危険な行為」として否定的に見られているようですね)、爆竹でガンギマリになった参加者たちにとっては、やはりこれがあってこその行事という感じになるのです。実際その場にいたわたしは脳汁が出て、「すごーい」みたいになっていました。

そしてクライマックスなので、数ケース買った爆竹もここで使い切りたい(ここで使い切らないと確実に余る)気持ちにもなるし、もう、ダンボールごと引火させたりすることとなります。それも1ケースとかじゃなく、数ケース積まれた状態で。

男たちが船を高速回転させる横で、ものすごい閃光と爆音をあげるケース単位の爆竹。そのときわたしは耳栓をして、さらにこの行事に数時間参加してすっかりバカになっていた耳を、さらに両手で塞いで、それでも防ぎきれなくて耳に痛みを感じるレベルのヴォリュームを感じました。あれを上回るでかい音、30数年生きてきていまだに聞いていない。

この爆竹みたいに、脳汁次第では完全に常識はずれのところまでエスカレートしてしまったりするから、気をつけようね。という話でした。

(小学生当時に長崎で体験した精霊流しの思い出をもとに書いています。古い記憶ですので、事実誤認などあったらごめんなさい)