silossowski

こんにちは

女装した話

友人に誘われて女装バー的な場所に行ってきて、そこで女装をしてきた。これまで自室でなら女物の服を着るということはあったのだけれど、人前で女装したことはなかったので、新たな体験であった。

いままでもそういう場所に興味はあったのだけれど、化粧をしたことが無くて、そもそも化粧のやり方も知らないから、女を装うこともできないであろうという判断と、そういう場に出て知らない人と上手く会話したり、なんかいやな要求されたときにもキチンと断る勇気がありそうもなかったので、行くに行けなかったというか、敷居が高かった。

しかしそれを友人に誘われて行くことになり、その友人に化粧も借りつつ使い方も教えてもらうことにして、それはそれは気分がアガってしまい、ニッセンで手当たり次第にかわいい服を買ってみたりして、かわいい服は目に入ると買ってしまう。ましてやニッセンはセール期間中で、半額近い値引きがザックザクと行われていたので、「ここを逃す手はない!」とばかりに財布の紐はゆるくなっていくばかりなのであった。

当日まではドキドキもので、より美しくなりたいと思い、ふだん体調が悪いときも、風邪をひいたりしていても欠かすことのないアルコールを何日も断ってみたり、美容室に予約を入れて、髪をツヤツヤにしようとしてみたり、とにかくものすごい気概にあふれている感じだ。

人間というものはやはり目標があると、なにかと頑張れるのであろう。筋トレも毎日欠かさず行って、当日までを過ごした。

さて当日、美しくなろうとして痩せようとして、食事を少なめにしたのが祟ったか、体が妙にだるい。しかも緊張しており、顔が熱く、動悸がひどい。気分を高めようとしてカフェインを摂ってみたのも裏目に出たか。しかもお腹も下している感じだ。

あまりに普段と違うことをしたものだから身体がびっくりしたのか。まあ女装バー的な場所に行くのはすごいことなので、まあ、そういうこともある。


現地である。

女装バー的な場所にいく前にサイゼに寄ってビールとグラッパを1杯づつ飲んだ。サイゼは最高だな、と思った。

女装バー的な店のある建物は、何の変哲もない雑居ビルという感じで、商業のにおいもしておらず、ここがそういう場所だと事前に知らなければ、スルーしてしまいそうな雰囲気。

そのビルの何階かに行って、女装用の入場券を買って、フロントに提出して、パウダールームで女装して、フロントに女装したのを見せて証明してもらい、そして入館という流れである。

女装していない男と女装した男だと、女装のほうが優遇されるっぽい。たぶん。


化粧を教えてもらった、顔にBBクリームを塗っていく。ひげとかがある口元などは入念に。

ビューラー、アイシャドウ、チーク、アイラッシュ。

本当にカンバスに絵の具を塗っていくような工程に思えて、「女の人はすごいな」と思った。女は全員ダリということでいいのではないだろうか。化粧は油彩画みたいだ。金子國義の絵の人みたいな仕上がりの顔になるし。

結局化粧をするのに1時間ぐらいかかった。顔面はいかにもおかまくさいというか、遠藤ミチロウ経由ハイヒールリンゴ行きのバスのフロントグリルみたいな感じだったと思う。ちょっと自分でも勘弁してほしい仕上がりだった。

これは今後の研究課題になると思う。自分でZipperだのKERA!(もう現存しないのか)の化粧のページを読んで勉強して、自分好みの感じを目指していくしかない。化粧を究めていきたいところだ。まずはダイソーとかで買ってみるといいらしい。


バースペースのソファに座ると、横に出来上がってピカピカしている状態の趙治勲先生のような風貌の酔っぱらいのじじいが座り、何かを喋っているのだけど呂律が回っておらず、なにを言っているのかよくわからない。わたしの手を握るとニコニコしながらズボン越しに股間を触らせようとする。周りの人がたしなめる。

見た目のわりにはニオイはしなくて、身体を入念に洗ってきたのかな。それとも元々清潔な人なのかなとか思う。腹をなでたが、つるつるしていた。意外に嫌悪感はなかった。ただ、わたしに声をかけようとする他の人に絡んだり食って掛かったり、会話中にわたしを引っ張ったりして、酒乱の所業という感じがしていた。

わたしがじじいに腕を引っ張られると、じじいに対して青年が「この娘がケガするかもしれないじゃないですか。危ないですよ。やめましょう」とそれをたしなめた。わたしは「女の子扱いされてる〜ッ!?」みたいな気持ちになったし、じじいをたしなめる青年の顔を、その時ばかりは ときめきトゥナイトの蘭世ちゃんみたいな顔で眺めていたと思う。少女漫画のコマみたいな展開は実在する。

さて、このあともそのジジイから如何にして距離を取るかみたいな感じになり(外に出て居酒屋で飲むか? みたいな感じにもなったけれど、初女装で外はさすがにステージが高すぎるので拒否した。すまん)、その場にいる人たちが色々取りなしてくれた。

常連の男の人たちが(って、その場にいるの全員男じゃん。みたいなツッコミはきっと5000兆回はされたのだろう)、スクラム的に距離をつくってくれた。そういうローカルルールというか、雰囲気があるのだろうな。女性は普段からこういう経験をしているのかい。距離はとれたけど、じじいは帰るということはなく、最終的にも完全なる平和は訪れなかったし、さっきじじいをたしなめてくれた青年は終電だからと帰途についてしまった。せっかく守ってくれたのにろくに会話ひとつ出来ず本当に悪いな、と思った。

連休中ということもあり、地方からやってきた女装さんたちと会話したりして、人間はいろいろだなと思ったし、なんかすごくリラックスして、本当に楽しく会話できた。緊張せず喋れたというか、おなじ女になりたい・女装したい気持ちを持つ者同士、揶揄嘲笑されないという前提条件がそこにあって、それだけで、まるで心が苦しい鎖から解き放たれたような、そんな心地よさを感じた。


さて、翌日は仕事である。0時に魔法が解けるシンデレラよろしく(というと大仰すぎるが)、化粧をとって普段の服に着替えて男に戻って家に帰る時間だ。

じゃあ帰るんで。と言って、席を立ち挨拶をする。じじいにも握手。やはりなぜか嫌悪感はなかった。

なんというか、酔っ払っているところ、呂律が回っていないところ、空気がよめないところ、ルンペン・プロレタリアートを思わせる外見、そして大雑把な年齢とかが死んだ父親に似ているなと思った。

晩年はほぼアルコールのみでカロリーを摂り、膵炎に苦しみ、風呂に入らず異臭を放ち、小便を漏らし、駅で行き倒れになったりして何度も警察の世話になったり、いろいろあったらしいが、父親に似ているなと思った。

きっと父親があの世からちょっと帰ってきたのだろう。お盆だし。

以前にも父親みたいな謎のじじいから地元の駅でいきなり貰いタバコをせがまれたり、たまにこういうことがあるんだ。
そう思うと妙な納得感と、優しい感情があった。

納得しているわたしの手を掴んでいるじじいは、その手を股間へとやった。周りがそれをたしなめた。


このような女装となり、いい体験だった。
また行ってみたい。
今度はじじいがいないといいなと思う。

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雑記 - まず家事をやりたい

生活において、たとえば布団を干してないとか、布団カバー洗濯してないとか、洗濯物たまってるとか、掃除機かけてないとか、床を雑巾掛けしてないとか、便所を洗ってないとか、風呂を洗ってないとか、食器や流し台を洗ってないとか、そういう後回しにしていることが個人差あるにしても多少なりともあったりして、そういうのが豊かな自己表現や思索とか、散歩や小旅行みたいなレジャーとか、趣味と実益を兼ねた工作や勉強とか、そういうものを全部阻害している感があり、一旦休みをとってその辺の溜まった後回しのタスクを一旦片付けてしまいたい。 しかし、そういうタスクを消化できるような、まとまった休みを取れる機会というのは、一年通して見てもわずかであるし、もっと言うと仕事を一旦やめなければそういう時間が取れそうにない場合だってある。

これのパフォーマンスを上げるには、極めて自閉的になり、身の回りを神経質なまでに清潔に整えまくるか、もしくは「掃除や洗濯しなくても気にしない」というスタンスをとって汚しまくるかみたいな極端な選択をしていくことになる。自分ルールを制定して、厳格にそれを適用していくというスタイルである。

一方、誰かと同居していて、その片方の人間が家事を効率よくサクサクこなせるタイプの人間だったりすると、それに引っ張られて、極端にならず、いいバランスで家事をこなせるようになったりする。 他者の目が適度にあると、なにかとバランスが取りやすくなるというものだ。

そこでわたしが御提案したいのは、「家事キャス配信」である。「キャス」と称してみたけど、periscope配信でも問題ない。 掃除や家事も、それを配信すると、いい具合に人の目があるから、途中でだらけたり、サボったりしづらく、配信時間の都合もあるから自然と効率的に家事をこなすようになるのだ。 実際これは自分自身やったことがあり、なかなかいいパフォーマンスを発揮できた。承認欲求も満たせるかもしれない。

しかしながら弱点もあり、一人暮らしする人間の家は大体クソ狭いので、ゴチャゴチャとものが多くて絵面が汚くなりがちである。汚い絵面は、人間の生理的嫌悪を喚起させやすく、なんだかそこに住む人間も薄気味悪く感じてきたりするかもしれない。

お料理配信みたいなのも良さそうだけど、果たして人にお見せ出来るような台所だろうか…。そういう問題になってくるが、やってみる価値はあると思う。

家事や色んな気の進まない作業を配信して、コンテンツ化する。これは一種のリサイクルでありエコではないだろうか。ゴミ焼却炉の熱を利用した温水プールで泳ぐ女児を想像すると、何だかひどく興奮する。

逆児市

19〜20歳ぐらいの約1年間を逆児市で過ごした。

大学の授業料が払えなくなった自分は、休学して働かなければいけない状況に追い込まれて、そこでまあ色々あって逆児市で働くことになった。

逆児市は地元と同一県内ではあるのだけれど、距離的には高速で2時間程度はかかるし、言葉も気候も全然違ったりして、まったく馴染みのない、文化の異なる街という感じだ。

逆児市ではほとんど休まず毎日長時間働くことになって、長時間働くだけでなく、なぜか「店長代理」みたいな立場に据えられて(所詮休学中の大学生なのにね)、そこで色々なトラブルに見舞われて、クレームにさらされて、警察が絡むようなこともあって、本当にキツい思いをしたし、もう本当にわけがわからなくなって、人を信じることができなくなって、惨めになって、死ぬしかないのかなと思ったこともあったし、あの日々さえなければ、今の自分はもっとマトモに人並みに生きられたんじゃないかなと思ったりもする。アルコール依存になったのもその時からだ。しなくてもいい苦労は存在する。

今回の本題はそこではなく、逆児での生活についてだ。

逆児という土地は、名古屋や岐阜のベッドタウン的な機能を持っていて、広い道路が通っていて、工業関係の事業所なんかもあって、トラックがいっぱい走っていたりして、首都圏で言うところの神奈川や千葉の、道路が広くて工業が盛んでベッドタウンになっている任意の土地を想像していただくと、だいたいそんな感じだと思われる。

要するに、柄悪くてヤンキーが多い土地なんだけど。

トヨタの下請け工場で働く出稼ぎブラジル人も多く、逆児に住む日本人たちはそれを「ブラジー」と蔑称風に呼んで、なんとなく差別している様子だった。

ブラジル人たちは派手好きで、服装や髪型もバッチリキメて、クライスラー300Cやジャガーといった、とにかく派手で厳ついクルマを好んでいた。派手好きは土地のヤンキー文化にも呼応するところがあって、ヤンキーもやはり派手なクルマに乗るので、街なかは毎日モーターショーかよというほどに派手なクルマばかりが走り、スーパーの駐車場でHUMMER、ダッジジャガー、ムーヴカスタム(ハイビスカスやUFOキャッチャー景品のぬいぐるみが車内に満載)、ベンツなんかが並んでいる光景は壮観だった。

橋から川のほうを見ると、スイーッ…とヌートリアが泳いでいるのが見え、なんとも逆児市っぽい光景だった。

駅は一応2線あるのだけど、乗換客はそこまで多くはなく、駅もひっそりとしており、それでも夜にはちょっとイキった感じの中学生がカラーギャング風ヤンキージャージを着てたむろしていた。

下校時、駅前に女子高生たちで溜まっていたら、「注〜目、オレ ◯◯(割とヒットした昼ドラ)っていうドラマ出てたんだけど、おれのサインいる人〜?」みたいに入ってきた若い男がいたらしい。女子高生たちは当然ながらサインを求めるでもなくポカンとしてしまったのだけど、そしたら男は「なんだ、つまんねえの」と言ってどこかへ行ってしまったという。

どうしようもない地方のベッドタウン。
でも、そんなどうしようもない街でも、楽しみを見つけることはできた。

毎日昼から深夜2時過ぎぐらいまで働くのだけど、昼の出勤前にブックオフに寄るのだ。 そこでなんとなく読みはじめたのは『なるたる』だったのだけれど、毎日それ以外に楽しみがない自分にとっては最高に楽しく、絵の白さもあまり気にならないレベルに没頭した。いや冗談です。名作ですね。

毎日1冊買っては読んで、また買っては読んでを繰り返した。

あと、深夜の勤務終了後にはネカフェに行った。家にはネット環境がなくて、インターネットに飢えていた。 スマホは当然存在しない時代の話で、iモードはあったにはあったけど、インターネットの代替たり得るものではなかったし。

ネカフェまでの道の途中に24時間営業のスーパーがあったので、そこでジョニーウォーカー赤を買って持ち込むのが楽しみだった。 ネカフェのドリンクバーでコーラを汲んできて、ジョニーウォーカーを割るのである。

そしてそのときたまたま、本当に偶然、gyaoなるたるのアニメ版が無料配信されていたので、「これは運命だ」と思いながら、なるたるの配信を見るためにネカフェに通ったのだった。のりおの声が太すぎると思った。

毎日働き詰めだったけど、半年ぐらい経ったあたりで、仕事が暇なときは半休させてもらう機会も出てきた。

半休して外に出て、久しぶりに見た深夜ではない夜の風景は、いろんな店の看板がキラキラしていて、クルマも多く走っていて、そのヘッドライトすらキラキラ輝いて見えた。はしゃいだ。

どこかで酒を、と思った。

ブラブラしていると、なんか古民家を改造した感じの、なんともソソる外観の店を発見した。

はじめての店はあまり入る勇気がない方なのだけど、なんだか気が大きくなっていたのか、それとも外観にソソられまくっていたのか、その店に入った。

ガガガ…、と古い民家の引き戸らしい音を立てて開いた店内は、薄暗く、照明はランプのみで、豆ストーブなんかが置かれていて、JBLのスピーカーからジャズが大音量で流れていて、土間に設置された席はそれぞれ仕切られていて半個室風になっていて、そのテーブルや椅子もアンティーク家具で、自分が座った一人用の席は古い学習机がテーブルとして使われていて、なんだかとにかく良いのだ。

酒場にひとりで行くと、店員や客が話しかけてくることが多いのだけれど、あれが苦手で、こういう店は最高だという気分だ。
クリームチーズの醤油漬けでカンパリビアを飲むのが好きだった。

そんな楽しみをつくりながらも、やはり日々は辛く、とにかくアタマが狂いそうだった。

道端にどう見てもオナホールにしか見えないものが落ちていて、砂にまみれていた。
わたしはそれを拾って、薬局の前の小さな自販機に売ってあるコンドームを買って河川敷の公園にいった。

そこでさらに人目につかなそうな、橋の下の川べりの方に腰を下ろして、暗闇で苦労しながらコンドームを装着し、砂まみれのオナホールに挿入した。
ぜんぜん滑らず、自販機売りのコンドームにはローションがついていないことを初めて知った。滑らないのでコンドームがいつの間にか破れていた。もうどうでもよくなって、そのまま砂まみれで射精した。精液は公園の遊具に塗った。オナホールはその時捨てたけど、川沿いの公園で射精して精液を遊具に塗るのは、その後も3〜4回ぐらいやったと思う。


一年の休学を経て、わたしは大学に復学した。

地獄のような日々から学生に戻れた自分にとって、大学生活は本当にこの上ない喜びに満ちたものだったし、真剣に勉強するようになった。それに引っ越しもした。より勉学に集中できる環境に身を置きたかったため、大学からより近い、静かな場所に引っ越したのだ。

ただやはり、地獄のような日々の辛かった思い出がいつもこみ上げてきて、それを打ち消すために毎日意識がなくなるまで酒を飲んでいた。アルコール依存になってしまったのは、休学前とは大きく違うところだ。

復学して、しばらくしたある日、「そういえば、いつも行っていたあの店にまた行きたいな。あの街には辛い思い出ばかりだけど、あの店だけはまた行きたい」と思った。

googleで店名を検索した。店のホームページは出てこない。かわりにニュース記事が出てきた。

「逆児市██ N丁目の店舗から出火し…」「全焼」「漏電が原因とみられ…」

「あの街にもう一度行ってみるか」という思いもここでおしまい。
街から「もう来なくてもいいんだよ」と言われた気がした。

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ケーキを食べることよりもむしろ買うことが趣味

もともと甘いものはわりと好きなのだけど、貧乏性が身についているので、ケーキを食べることは、たとえば誕生日とかクリスマスとか、あとは風邪やら病気のときとか、そういう特別なときに限られていて、日常でケーキを食べるとバチが当たるのではないかとすら思っているようなフシがあります。

しかしながら、世の中の人たちみんながそんな程度しかケーキを食べないのであれば、ケーキ屋さんは当然食っていかれないわけであり、ケーキはもっと日常から買って食べてもいいものなのではないかと、大人の自分が論理的に考えた結果、そのような理路整然とした答えが出ましたので、そのようにしています。

きっかけとしては、人物から「クリスマスなのでホールケーキを買おう」と提案され、「いや、それならばショートケーキを数種類買ったほうが、安いし量も適切だし、色んなものも食べられるし良いのでは」と返答し、実際そのようにしたのですが、たしか5個だか6個だか買って2000円もしなかったので、「意外と高価くはないものなのだな」と思って、それ以来ケーキをたまに買うようになったのです。

ケーキをたまに買うようになり、少量買って自分で食べるということもあるはあるのだけれど、むしろ人の家に遊びに行くときとか、おみやげとしてケーキを買う機会が多くなり、それは「自分ひとりのためだけにケーキを買うのが何だか少し後ろめたい」みたいな気持ちがまだ完全には捨てきれず、しかも自分用だと少量しか買わないので、何だか店のひとに悪いのもあるというか、店のひとに「うだつの上がらないチョンガー( * )なのに、自分用に1個だけケーキ買うんだ(笑)」みたいに思われるんじゃないかみたいな気持ちもあって(なので、たまに買うときはそんな要らないのに複数個買ったりして、「いや、妻がね、ここのケーキが好きでね」みたいな顔をする)、結局やはり自分用にはケーキって少し買いにくいので、ひとの家にお邪魔するときのお土産を口実にケーキを買って、自分も食べようという気持ちがあるのですよね。
* 注釈:死語です、各自ググってください

もちろん普段から自分用に少量買って、味を確かめて、そのうえでひとへのお土産や進物にするというのは真っ当な行動なので、普段から自分用に少量買うというのは後ろめたい行動じゃないはずなんだけど。

こうした行動を繰り返すうちに気づいたのが、自分はケーキを食べることというよりも、ケーキを買うことが好きなんじゃないかということでした。

ケーキを買うというのは、生活に華を添えるようなものだと思う。

華を添えるという言い回しがバッチリそのままで、花を買って花瓶に活けて、それを部屋に飾る行動に似ている。

ケーキ屋に行く、ケーキ屋の店内は砂糖とスパイスのにおいに満ちている。ガラスケースを見る、色とりどりのケーキが並んでいる。少し無骨でドッシリとしたものもあれば、フルーツが宝石のように散りばめられている鮮やかなものもある。キウイフルーツババロアとか爽やかな色のものもあれば、名前わかんないけどベリーを使った艶やかな赤色のものもある。チョコレートや栗のなめらかな茶色、いくら見ていても飽きない。花屋の店先に並んだ、いろんな花を見ていたときのマッキー(槇原敬之)もこのような気持ちだったのだろうか。

とかいろんな形容をしまくっていると、時間がかかって店のひとに迷惑ですので、早めに決めてケーキを買うのですが、いつも「はやく決めなきゃ」とおもって迷ってしまって、「なんでこのケーキに決めたんだ?」とあとでいつも謎になってしまうのですが、それはさておき、ケーキはだいたいうまいです。生活に彩りがもたらされます。

なんかキレイなケーキを買ったならば、それを雑には消費したくないというのが人間の情であり、箱から取り出したら、(半額惣菜はいつも容器から直接食うくせに)きちんとお皿に載せて、コーヒーやお茶を淹れて(焼き菓子系だったら洋酒なんかもいいですね)、散らかってるテーブルの上もきれいに片付けて、その様子をスマートフォンで撮影して、インスタ・グラムに投稿して、急げば秒で食べ切れるケーキをゆっくりと丁寧に味わって食べたりするわけです。

そして人の家に遊びに行くときのお土産にしたときなんかは、「このケーキうまいね」みたいな感じになると、自分が作ったものでもないのに、何となく鼻が高くなるというか、嬉しくなるものですよね。

ケーキを人に買っていくとか、ギャルゲーの登場人物のヒロインの美人のお姉さんになったみたいな気持ちにもなりますね。(個人の感想です)

「ケーキを買う」という行動ひとつには、そのような体験がすべて込められており、要するに丁寧な暮らし、美しい生活が付随してくるものなのではないかと思うのです。

いまわたしが住んでいる部屋は狭くて古くて、線路の近くだからうるさいし、電車が通過するたびに家が揺れるし、北西向きで日当たりが悪くて昼間から暗くて寒いし、なんかくせえし、花を飾るような気分になれないというか、置くスペースすら確保できないのだけど、それでもケーキを買って食べることは割とできたりとかするっぽいです。

それでもひとりぼっちでケーキ食べるのは微妙なので、人と会うときに買いたいのだけど。

ともかく、丁寧な暮らしをやっていくために、ケーキを「買って」みてはいかがでしょうかというご提案と、経過のご報告でした。

苗字や名前は変わるかもしれないし、ならばスクリーンネームが本当の名前

本名って、結婚とか養子とか、親族による重大事件事故などによって変わったりするものなのだけど、スクリーンネームというのは自分が変えようと思ったときしか変わらず、そういうことを考えると、そのひとを識別する記号としては、スクリーンネームのほうがむしろ重要でなおかつ自由なものではないだろうか。

人間づきあいに関しても、SNSとかネットで知り合った人間と多く交流しているというひとだってイマドキは少なくないと思うし、わたし自身本名ではなく「シロソウスキー」というスクリーンネームで呼ばれることのほうが多いぐらいだ。

スクリーンネームが重要性を増してくると、今度は同じスクリーンネームである人物との混同を避けることが重要になってきたりとかして、「◯◯村の××」みたいな感じで、呼称にメタ情報的なものがついてくるようになるものと思われる。

しかしそれも識別記号としてはいささか曖昧だし、姓名で言うところのファミリーネームみたいな、家へのロイヤリティやブランドみたいなものも、どうせそのうち含みたくなってくる。

そうなると、いまわさらー(@wasara)がやっているような、「@ワサラー団」というファミリーネームを名乗らせる(ファミリーを増やす)という行動は、本当に先見性を持ったすごいことなのではないかという気がする。

焼鳥のタレ 最高!

つい最近までお花見シーズンでしたが、わたしもお花見に誘われ、お花見スポットまでお花見をしに行きました。

お花見にはやはり食べ物と酒はつきもので、わたしは食べ物を作りたかったので、食べ物を作り、お花見に持っていくことにしました。

まずはソーセージで、業務スーパーでお徳用のソーセージ1kgを買ってきて、これを茹でます。
大量のソーセージを茹でるというのは、なかなか気持ちの良いもので、年に1回はやっておきたいなと思う行動です。 グラグラと煮立つ鍋の中を泳ぐ無数のソーセージたちを見ていると、なんとも言えない征服感というか、理科の実験みたいというか、とにかくワクワクした気持ちになります。 煮立った鍋を火からはずし、ザルにザバーッ!とあけます。
ホカホカと湯気をあげる大量の、ソーセージ!

みなさまにも、レジャーとしての「ソーセージ茹で」をご提案いたします。

ソーセージをパックに詰めたら、こんどはヤキトリです。 お花見といえばヤキトリです。

ヤキトリとは言っても、鶏肉でやろうとすると、カットしたり串を打ったりするのは手間なことだし、鶏肉自体もけして安くはないので、ここは業務スーパーの業務用冷凍肉団子を買ってきます。 業務用冷凍肉団子は500g入って168円なので、とても安くておすすめです。

これを解凍して、やはり串を打つのですが、
鶏肉に比べると串打ちも全然難しくないし、好都合です。
串に打つと、業務用冷凍肉団子は完全に「つくね」の顔をしはじめます。好都合です。

業務用冷凍肉団子はそのまま食べても、それなりに味がついているので悪くはないのですが、タレ味にしたいと思いました。 濃い目の味がついていると、お酒と合うし、タレ味にしたいと思いました。

焼鳥のタレを買った

そこでヤキトリのタレを買おうと思い、ほど近い肉屋に行ってみました。 この肉屋では店頭でヤキトリを売っており、そのタレも40円で販売しています。 40円は安いし、お肉屋さんのヤキトリの味を再現できていいと思いました。

しかし、(こういうことは起こりがちなのだけど)なぜかその日はちょうど臨時休業しており、ヤキトリのタレを買うことができませんでした。 いままで臨時休業しているのなんか、見たことなかったのだけど…。

仕方がないのでスーパーに行き、焼肉のタレとかが置いてあるようなあたりの棚を探しました。
ありました。エバラ焼鳥のタレ。178円。
今回はこちらを採用することにしました。しかし思ったより安いものだな。もっと300~400円ぐらいするものかと。

串打ちした「つくね」をフライパンで焼きます。

両面に軽く焼き色が付いたら、エバラ焼鳥のタレをフライパンに流し入れます。 タレには想像よりずっとトロミがあり、焼鳥屋や肉屋のタレとはずっと違うなと感じました。

また、タレというのは焦げやすいはずなのですが、フライパンの上のエバラ焼鳥のタレは、なかなか焦げる気配もなく、のんびりと調理していても全く焦げませんでした。
やはりプロユースではなく、一般向けに調整された焼鳥のタレといった雰囲気があります。

火にかけていても焦げないから、たっぷりと具材にタレを絡めることができるね!お父さん!

そうしてわたしは「つくね」を完成させることができました。

味は

味見をしてみましたが、甘みが強く、焼鳥のタレというよりは甘ダレといった雰囲気があり、醤油からさは控えめといった印象。 トロミが強くて具材によく絡むわけなので、この醤油からさが適正という感じなのかなと。 あと、レモンの酸味・香りを感じます。

これは焼鳥のタレというよりも、「ヤキトリ丼のアタマ」をつくるのに適正な味かなと感じました。 鶏肉とネギをフライパンで炒めて、ご飯に盛って食べる味というか、そこはやはりエバラ品質というか。
ホイコーローの鶏肉バージョン的に、鶏キャベツ炒めとかにもいいかもしれません。

めしに焼鳥のタレをかけて食うとうまい

めしに焼鳥のタレをかけて食うとうまい。そのままの意味です。 ヤキトリ丼の具無しバージョンを想像していただくと、いまわたしが食べているそれです。

めしに刻みのりを載せて、タレをかけて、ここで贅沢をしたい方は生卵も載せてしまいましょう。 卵黄のみでやると、本当に贅沢です。 ここに刻みねぎとかを載せると、食感にアクセントが出て、さらに贅沢で良いのではないでしょうか。

「肉があると、もっとうまいんだろうな」とかは思います。

調味料はだいたいうまい

世の中の調味料は本当にうまいので驚きます。

たとえば、「買ったことないブランドのソース買ったらめっちゃうまくて、毎日のようにソースに合う食べ物探して食ってる」とか、「処分品になってた麺スープのもと買ったらめっちゃうまくて、麺茹でて食べる機会が激増した」みたいな、いままでの食習慣さえ一変させてしまうような、そのような魅力があります。

調味料を賛美していきましょう。

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いつもと違う店で髪を切れない

いつもと違う店で髪を切れない。

むかしから髪を切るときは地元の駅前の床屋でやってもらっており、他の店で切ってもらうのは浮気するような気がするというのもあるし、仕上がりが不安だというのもあるし、予約もしなきゃいけないし、ほかにも色々あるし、それらが渾然一体となってダルみ成分となって、カラダの中に漬物石を詰められたみたいに、腰がズンと重くなってしまう。

床屋に限らない話ではあるけど、いつもと違うものを選択しなければいけないのは、とてもストレスを感じる。

たとえばシャンプーやらトリートメントみたいな理美容品も、いつもと違うものを選択して、その仕上がりだとか香りだとかが気に入らなかったり、肌との相性がよくなかったら悲しい。

シャンプーやらトリートメントは、なかなか減らない。

肌に合わない場合、アタマが痒くなってたくさんの毛が抜けたりとかするし、とにかくよくない。1回買うと、使い切って買い換えるまで時間がかかるから尚更(体に合わなかったら使用を中止して捨てればいいだけの話なのだけれど、貧乏性のせいで、どうしても我慢して使ってしまう)

そのうちにアタマはどんどんかゆくなり、髪の毛がシャレにならん勢いでスルスル抜けていってしまうのである。

食堂や居酒屋だってそうだ。
注文のルールやら、店員に声をかけるタイミング、会計の方法、そういうものを気にしなければならないのだから、とにかく落ち着かない。

一度行ってしまえば、以降はわりと大丈夫になるのだけど、最初の1回というのはやはり不安が大きいものだ。

特にラーメン屋なんてのは、ルールが難しい。 食券を買うタイミングは並ぶ前か、あとか。レンゲや水はセルフかそうでないか、トッピングについてはどう言えばいいのか。
それに店主が、元相撲取りとかだったりして、怖い人かもしれない。

考えれば考えるほど、落ち着かなくなる。

まるで旅先の、知らない土地の路線バスに乗るみたいなもので、運賃は先払いか後払いか、後ろ乗前降りかどうか、降りるバス停までの所要時間もわからないから、バス停のアナウンスも耳を澄ます必要がある。運賃だってよくわからない。両替が必要かもしれない。信号待ちの間に、運転席横の運賃箱のところまで行って、うまく両替しなければいけない。乗っている最中は片時も落ち着くことができない。助けてくれ! はじめて隣町の日赤病院まで、おばあちゃんのお見舞いに行く小学生か。

これまでは地元に帰省するタイミングで床屋に行って散髪できていたが、ここ最近は帰って床屋に行く機会もなかなか無く、きょうまで来てしまった。 もう前回散髪してから2年近くなってきて、髪は伸び放題で状態も厳しくなってきた。 ストレートパーマも解けて、髪がワッサワッサしてきた。

さすがに髪を切りに行くためだけに地元に帰るなんてこともできず、「最寄り駅名 + 床屋」でgoogle検索する。

美容室より床屋が断然いい。理由は顔剃りがあるから。

「男専門! オシャレな男のサロン」というような床屋が見つかったが、あまりにも「男専門!」を全面に押し出しすぎており、わたしはわたしは女子中学生のような髪型にしたいので、不安をおぼえる。

野球部やサッカー部の男の髪しか切っておらず、ソフトモヒカンしかできないのではないか。

ソフトモヒカンまでではなくとも、サンダー・ホーク(SUPERストリートファイターII)のような髪型にされてしまうのではないか。わたしはアパッチ族ではない。スカルピングもできない。頭蓋骨を使った首飾りもしたことがない。女子中学生のような髪型になれば満足なのに、そうはいかないのか。

そもそも現在だって、28歳のときに行った美容院でやたら短くされてしまって、それがやっと回復したような状況なんだ。あのときは毎日毎日自分の髪を鏡で見てため息ばかりついていた。あんな悩みはもうイヤだ。イヤだ!

人生にはつまづきポイントが多すぎるから、それも軽いと思っていたら、意外と重いつまづきだったりするから、「青豆の温サラダ」にするか「真いかのパプリカソース」にするかで10分ぐらい考え込んでしまう。

それに200円のデカンタワインをつけると、合計400円ぐらいで酒とツマミが座りながらにして飲食できるのだから、サイゼリヤは本当にすごいですね。

サイゼリヤは最高!